僕とトイレの700日戦争
タイトルは好きな映画の1つ「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」から頂いた。良かったら見てほしい。多分ゲオで100円で借りられる。
年末に家のトイレが反抗してきた。
そのバトルをお伝えしたい。
まず、トイレ君の紹介をしよう。
彼は5年近く家族の一員として過ごしており、便座から立ち上がったときウォシュレットのノズルを自動洗浄する出来た奴だった。初めの頃、センサー感知での洗浄はカッコいいし僕は割と眺めていた。
しかし、12月に入ってから調子が悪いのかウォシュレットの出が恐ろしく弱く威力を最大にしてもお尻に当たらなくなった。
僕のお尻はウォシュレットに慣れてしまっており、今さら紙のみで拭けと言うのは酷な話である。
そもそも、紙のみで拭いて終わる事が信じられない。
泥だらけの手を洗わずに雑巾で拭いて終わる人がいるだろうか。
絶対手を洗うだろ。
なら尻も洗うべきである。
旅先でウォシュレットが無かったら致し方なく極限まで拭くが、小学生の時のキャンプで拭き過ぎてお尻が腫れて歩くのも辛くなった事があるので、やはりウォシュレットは偉大である。
もはや排泄音を消すやつぐらいの意味しか成していなかったが、時々調子が良く普通に洗浄できる日もあった。
そしてある日のことである。
この日はまたお尻まで水が届かなく、ウォシュレットを睨みながら便座を立ったとき、洗浄のはずなのにノズルが出てきた。
ん?と思っていると次の瞬間水を盛大に吹き出してきたのである。
僕は咄嗟に便座に腰掛けた。
内股が少し濡れてしまったが、これはどうだろうか。まさに僕が求めていた本来のウォシュレットの力である。
しっかりとお尻に届き、洗ってくれるのだ。少し赤くなってたお尻の生き返る心地がする。
2秒ほどでウォシュレットは止まり、確認したのち僕は立ち上がった。
下を見るとまたノズルが出てきた。
座った。
水が出た。
どう言う事だろう。
ファンサービスが過ぎる。いくらウォシュレットが好きとは言っても何回もやられてはお尻が冷えてしまう。万病の元である。
どうやら、ノズル洗浄の代わりにウォシュレットが作動するようになってしまっているようだ。
試しにもう一度やってみる。
立ち上がる。
ノズルが出てきた。
座った。
水が出た。
間違いない。
さて、どうしたものか。
このままでは一生トイレから出られない。
便座は暖かいし、個室でプライベートも保たれている。このままトイレで過ごしいつの日かトイレの神様となるのも悪くないが、腹も減ったし外に出たい。
相手はセンサーだ。ウォシュレットが止まって直ぐに立ち上がれば、着座センサーが間に合っておらず、このループから抜け出せるかもしれない。
やってみよう。
立ち上がる。
ノズルが出てきた。
座った。
水が出た。
そして、止まると直ぐに立った。
ノズルが出てきた。
座った。
水が出た。
無限ループって怖くね…?
お腹の虫がぐ〜と鳴く。まずい、着実にトイレの仏様への道を歩んでいる。
闇雲に行動してはまた水を浴びるので取り敢えず、座ったまま濡れたお尻を拭き、考えた。
そして、閃いた。
僕は便器へ繋がるコンセントを抜いた。
そして、恐る恐る立ち上がった。
便器は静かなままだ。
そのまま僕はトイレを後にした。
勝った。僕は勝ったのだ。
所詮トイレの考えることなどこの程度、人間様には敵わないのだ。
小さくガッツポーズをした。
翌日、便座が冷たく厳しいので、コンセントをはめた。
不思議なことにあの日以来今日まで彼は調子良く、ウォシュレットは快適に使えている。
でも、それでも、僕は立ち上がる時にノズルを確認してしまう。
よし、今日も元気にノズル洗浄している。
思えばこんな感じに洗浄を見るなんて、初めて彼が家に来た時以来だ。
もしかしたら、トイレの有り難みを知って欲しくて、思い出して欲しくて、あんな反抗をしたのだろうか。そう思うとなんだか、ちょっといじらしい。
お尻をだけでなく心もあっためてくれるなんて、やっぱ出来た奴だ。